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ダメな者は、本当にダメなのか?

組織は、その組織にとってダメな者を排除しようとします。

ダメという表現を変えると、異質な者・異端な者・非生産的な者・非効率的な者といった表現になるでしょう。

こういう人がいたらリストラしよう退職に追い込もうと多くの経営者は、考えます。そうしてそういう経営者の姿勢に誰もが疑問をもたないでしょう。

しかし、ダメな者が見えない形で組織を助けているということは、よくあることなのです。

例えば、働かないアリは、働き者のアリが疲れたときに活躍するそうです。

働かないアリがいた方が組織は、長続きします。

全員が働き者だと、全員が疲れてしまうからですね。交代できなくなってしまうわけです。

これは、一例ですが、その組織にとって必要と思われていない者も長期的にみればその組織を救う存在になることも多いのです。

また仮に、その異端者を組織から排除したとします。そうすると、今度は、次の異端者を経営者は探し出すことでしょう。

常に誰か排除する人間を求めるのが経営者や組織の性質でもあります。

なぜそういうことをするかというと、自分でも気づかないうちに自分を肯定するために否定する人間を探してしまうのですね。

人を攻撃すれば、自分の欠点や過ちを顧みる必要がないからです。自分を顧みるというのは勇気がいるし、しんどい作業なんです。

でもそうやって常に異端者を探して排除し続けるという行為を続けると、当然のごとくその組織にはベテラン職人が増えない傾向になってしまうので、その組織は存続できなくなってきます。

長期的に経営を考えてその組織を守ろうとするのであれば、異端者も守らなければならないといえます。

異端者さえも受けいれるという寛容な組織のあり方が、その組織を発展させるんですね。

振り返れば文化の発生というのは、常に異文化と異文化の衝突から生まれてきました。新商品や新サービスの開発がなければ組織は存続できません。そして、新商品や新サービスを作るというのは、まさに文化をつくるのと同じです。

もう少し延長していえば、自分と同じ性質の人間とは組まない、くらいの異質な者を求めるくらいの柔軟性があった方がその組織は永続する可能性が高まります。

非効率的な人間がいたら、すぐにダメな奴、といって切り捨てるのではなく、面白い奴、興味の湧く奴というふうに味方を変えてみてください。

どんな人だって長所のない人間は、いないはずですから。