事務所通信

事務所通信 平成30年12月

つれづれ日記      クリスマス            税理士 舩橋信治

この文章を書いている日付は、平成30年12月24日、つまりクリスマスイブとなります。クリスマスでも私は、文章を書いている。そうなんです。私は、拙文ながら文章を書くことが好きなのです。だからこの事務所通信も意外に続いているのだと思います。

さて、クリスマスというのは、いったいどんな日なのでしょうか?よくわからない、というのが実態だと思います。クリスマスは、イエスキリストが生まれた日だという人が多いのですが、聖書を読んでみるとイエスが生まれた状況は夏だったようにも推測できます。またキリストのある宗派の中には、春にイエスキリストの誕生を祝うところもあるようです。結局、イエスキリストがいつ生まれたのかということは聖書には書かれていませんし、本当のところは誰もわからないというところだと思います。

ただ12月24日から25日までは、特別な日というのは変わりません。この日は、特別な電波が地上に流れていて、その電波にのって未来からあるいは過去からイエスのメッセージが届いているような気配を私は感じます。というより、感じるような気持ちにひたりたいです。これが27日とか31日みたいなクリスマスを過ぎた日付ですと、紅白歌合戦や門松といった日本的な雰囲気が出てきます。ですのでクリスマスには、なにか透明感のあるそして緊張感のある、冷たい空気の中に一本のピンと張られた糸のような厳しさと美しさを感じます。

私は、何か思い悩むときに「聖書」を見るというクセがあります。キリスト系の学校に行ったことはなく、キリシタンでもなく、実家は曹洞宗なのですが、なぜか聖書を見たくなるのです。クリスマスには必ず聖書を開きます。そんな聖書には、私の好きな言葉がいくつもあるのですが、今日はその中の一つをご紹介させていただきます。

「空の鳥をよく見なさい。種もまかず、刈(か)り入れもせず、倉に納めもしない。だがあなたがたの天の父は鳥を養(やしな)ってくださる。あなたがたの天の父は、あなたがたに必要なものをご存知である。だから明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自(みずか)らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

このイエスの言葉を、みなさまはどのように解釈されるでしょうか?正解は、ないと思います。私は、次のように解釈しています。
「明日のことまで悩むな。今日の心配をするだけで精一杯じゃないか。明日の心配までしていたら身が持たないよ。そんな先のことよりも、今日一日 お前の全力を出してみなよ。一日一日 お前の全力を出すしかないじゃないか。それが未来につながるのだよ。今お前は全力を出しているか?出しているならそれでいい。出していないなら、それは罪だよ。お前の命を完全燃焼させるのだ。そのためにお前に生命を与えたのだ。どんな仕事でもいい。仕事に上も下もない。利益があがる仕事もあれば、利益があがらない仕事もある。もちろん利益があがる仕事の方がいいし、そのためにはアイデアを出したり計画を練ったりすることも必要さ。でもね。その前に、まず単純に全力を出すことが必要なのだよ。お前が全力を出すのなら、私はお前の力になる準備は出来ているよ。」・・・私は、イエスがこのように言っているように感じます。そして、そう解釈することによって、イエスの私達に対する深い愛情を感じます。

上記のような解釈をすると、イエスの言葉に併せて、「日々(にちにち)これ好日(こうじつ)」という禅語も思い浮かべます。この言葉は、ともすると「晴れの日も雨の日も、まいにちが良い日なのじゃ」という、おじいちゃんが縁側でお茶でも飲みながらニコニコしている情景を思い浮かべる人も多いのではないかと思います。しかし、禅宗でのこの言葉の意味は、まいにちが良い日じゃというようなのどかな解釈ではなく、かなり厳しい解釈なのです。
「日々これ好日」の真の意味とは、毎日全力を出しなさい、精一杯の力を出し切って、これ以上もう頑張れませんという心境になったときに、その日を良い日と呼んでいいのだ、というものなのです。

さて現在の日本の風潮は、どのようなものでしょうか?なるべく楽をして、なるべく効率よくお金を稼ぎたい。仕事と趣味は別物で、仕事は仕事。仕事が好きなわけではない。生活のため。それ以上でもなければ、それ以下でもない。5時の定時でしっかり帰宅出来て、有給を完全に消化できる会社が良い会社。もともとそこには希望はない。だから、待遇が大事。・・・これは、少し私が大げさに言いすぎているかもしれませんが、現代の日本にはこのような風潮があると思います。もちろんサービス残業はよくありませんし、有給もしっかり取るべきです。会社も待遇を良くしていく必要がありますし、これからの会社はそうしなければ従業員さんは離れていくことでしょう。しかしです。しかし、本当にそれだけでいいのでしょうか?仕事の喜びとか、やりがいというのは、大きな苦難を乗り越えた者にしか味わえない場合が多いような気がするのです。

経営者の苦難する場面です。経営者は、従業員さんに良い待遇を与えなければなりません。しかし全力を出し切る精神も与えなければなりません。この二つの要素は、ときに対立します。矛盾する二つの要素を、いかにバランスよくとるのか。果たして、9時から5時という限られた枠の中で、全力を出してもらうためには、どのような準備が必要なのか?

私はどう考えるのか?私は、短期集中という考え方でこの相反する矛盾を解決したいと思います。簡単に言うと、短い時間を集中して働いて、だらだらしない、余計なことをしない、それによって従業員さんの余暇の時間を確保していただく、ということです。

今は、「残業をしなかったら残業代を支払う」という会社も出てきております。それくらい会社は、従業員さんの待遇に気を使っています。それがいいのか悪いのかは、難しいところです。それによって長期的に効果が出るのかどうかも不確かではあります。とにかく良くも悪くも日本は、そういった文化の時代に突入したのだと思います。今まで当たり前でやっていたことも、これからはブラック企業と言われてしまいます。また日本の法制度は、上場企業や公務員を基準に策定していきますから、中小企業はそれに合わせなければなりません。中小企業は、上場企業のような体力がないにもかかわらず、上場企業と同じルールで従業員さんを雇用しなければ責められてしまいます。

しかし、私は、中小企業は幸福な場でもあると信じています。中小企業は小さな組織ですから、家族的です。利益が減ったからといって大企業のようなリストラはしません。嫌な取引先と縁を切ってでも従業員さんを守ったりするのは、中小企業です。中小企業は、一人抜けるだけでダメージが大きいので、従業員さんを大切にします。つまりファミリーです。人を利益追求のための道具にしない中小企業こそが、幸福な場である、と私は信じたいです。

今日はクリスマスイブ。もしもイエスキリストが中小企業の経営者だったら、どんな経営をするでしょうか?イエスキリストでさえ、弟子に裏切られました。経営に失敗してもいいではないですか。利益があまり出なくてもいいではないですか。苦難が多いのも全てが終われば思い出に変わります。きっとイエスは、失敗してもそれを大目に見て受け入れてくれるに違いありません。しかし、イエスが扉を閉める場合があるかもしれません。それは、全力を出さなかったとき、かもしれません。

明日のことを思い悩むな。今日のことだけを心配しろ。このイエスの言葉は、臆病で心配症な私のような小心者を励ましてくれる有難い言葉です。